源義経、石田三成、真田幸村など不死伝説まとめ

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源義経、石田三成、真田幸村など不死伝説まとめ
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源義経、石田三成、真田幸村など不死伝説

源義経、石田三成、真田幸村など不死伝説について

世の中不思議な話が多い。死んだはずの人間がどこか別の地方で生存していたということになっている。特に、歴史的に見てヒロイン的な人物に多いようだ。


例えば源義経、ちょっと考えてみただけで日本国中あらゆる地方に義経伝説があり、海を渡ってジンギスカンになり元寇として日本上陸を図ったとか。
明智光秀は実は生き延びていて、天海と名を変えて家康に仕え、江戸幕府の成立に貢献して100歳以上まで生きた」 とか。


あるいは、石田三成は斬首の刑になったはずが榊原家もしくは佐竹家にかくまわれて生き延びたとか言われる。
織田信長も本能寺の変で死体が発見されなかったことで「薩摩に落ち延びた」とか「秀吉に匿われて幽閉された」とかいういかにも作り話と以下思えないようなものばかりだ。


真田幸村は大坂城崩壊の前に秀頼を連れて九州に落ち延び、秀頼の子が天草四郎となって反乱を起こしたという説もある。
このようにその時代にヒーロー的な人物であったがために、地方によっては彼らを神格化し人々の安寧を図るためにお寺やお墓を建造したりしている。
アニヲタWiki(仮)(https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/35344.html)


によれば、不死伝説は日本だけでなく世界にも存在しているとされる。
人物名を列挙すると


日本では、 


源義経、源義親、安徳天皇、平家盛、弘文天皇(大友皇子)、公暁、明智光秀、織田信長、石田三成、島左近、豊臣秀頼、真田信繁(幸村)、平賀源内、大塩平八郎、原田左之助、西郷隆盛、杉野孫七、
世界では
イエス・キリスト、モーセ、楊貴妃、建文帝、ジャンヌ・ダルク、フリードリヒ一世、ルイ17世、マリア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ、アナスタシア・ニコラエヴナ、アドルフ・ヒトラー、スバス・チャンドラ・ボース、川島芳子、エルヴィス・プレスリー、ハロルド・ホルト、ウォルト・ディズニー、マイケル・ジャクソン


なお、不死伝説についてアニヲタでは次のように概説している。

大きく分けて次の2パターンが存在する


大きな功績を挙げ、または大志を抱いていながら、志半ばで死去した人物に関するもの(判官贔屓パターン)


名家や高名な人物の子息として生まれながら、幼くして死去した人物に関するもの(貴種流離パターン)


特に戦乱の最中で死亡して遺体が確認できなかった人物や、政治的な混乱期に死亡した人物、そもそも遺体を残さず行方不明のまま消息を絶った人物などについて発生することが多い。
ただし公的に遺体が確認されている人物であっても
「死んだのは替え玉だったんだよ!!」
「死亡診断書は偽造だ!!」
などの裏技が使える。


当然ながらというか、一般的に若くして悲劇的な最期を迎えた人物について発生することが多い。
大衆の同情心および「もっと活躍してほしい」という願望によるものと言えよう。
ただし日本の場合、「坂本龍馬」という、悲劇の最期・若死に・政治的混乱期に死亡・国民的英雄という条件を備えているのに生存説がほとんど発生していない巨大すぎる例外が存在する。

出典 http://www49.atwiki.jp

源義経

出典 http://s-media-cache-ak0.pinimg.com

源義経 
おそらく日本史で最も有名な生存説の主役。
判官贔屓パターンの代表格であり、そもそも判官贔屓という言葉の語源である。
かくまっていた奥州藤原氏の寝返りによって衣川で戦死したというのが史実とされるが、実は生き延びていて北東北・さらには
蝦夷地に渡ったといういわゆる義経北行伝説がある。
さらにこの伝説の延長線上に、 義経・チンギスハン同一人物説 も存在する。


正確に言えば義経北行伝説と義経・チンギスハン同一人物説はそれぞれ別系統のものであり、タイムテーブルを考えると互いに矛盾する。
(伝承通りにいつまでも蝦夷地辺りでのんびりしていたら、大陸でのチンギスハンの登場に間に合うわけがない)
義経北行伝説のほうはあくまでも義経への同情に加えて、 自分の家の系図に義経やその関係者を加えて見栄を張ろうとした 人々と、 アイヌへの同化政策 のために義経が利用された結果である。
(ちなみにアイヌの伝説では、義経は悪役で登場することが多い)


一方の義経・チンギスハン同一人物説はずっと後の時代に唱えられたものである。江戸時代にはシーボルトが海外に紹介し、大正時代に小谷部全一郎の著作で一躍有名になった。
チンギスハンの前半生が不詳であることや戦法が類似していることなどを根拠とする。
しかし現在ではチンギスハンの前半生はかなり詳細にわかっている上に、戦法には実際には類似性はあまり見られず、他の類似点もこじつけであることが指摘されている。
「九郎判官」と「チンギスハン」の音が似てなくもないとか、チンギスハンの母であるホイルン・イケは義経の母の池禅尼のことだなどというのに至っては、 ただのダジャレ としか言いようがない。
いずれにしても、学術的にはどちらもはっきり否定されている説である。


その一方、義経・チンギスハン同一人物説については史実かどうかというのとは別のレベルで大きな謎がある。
それは、 この説の言いだしっぺは誰か ということである。
義経が蝦夷からさらに大陸に渡ったという伝承自体は少なくとも江戸時代前期にはあったようだが、それがチンギスハンと結びついた経緯については未だはっきりしない点が多い。
一説には、言い出しっぺはこの説を西洋に紹介したとされる シーボルトその人 ではないかとも言われている。

出典 http://www49.atwiki.jp

源為朝

義経の叔父に当たる平安末期の武将。
某大河ドラマでガンダムと呼ばれるほど規格外の弓の名手だったとされるが、保元の乱で伊豆に流罪となり、史実ではそこで反乱を起こして戦死した。
琉球王朝の正史では、実は生き延びていて琉球王家の祖となったとされる。

出典 http://www49.atwiki.jp

石田三成

史実では関ヶ原の戦いに敗れて斬首される。
実は榊原家もしくは佐竹家にかくまわれて生き延びたという伝承がある。

出典 http://www49.atwiki.jp

豊臣秀頼と真田信繁(幸村)

出典 http://stat.profile.ameba.jp

秀頼は貴種流離パターン、信繁は判官贔屓パターン。
史実ではともに大坂の陣で死去。
伝承では信繁が秀頼を連れて九州に落ち延びたと言われる。ちなみに九州には秀頼の墓があったりする。
また、後に島原の乱の首領となった天草四郎時貞は秀頼の子という派生説もある。
その他、処刑されたとされる秀頼の子・国松が、豊後日出藩に匿われ、「木下延由」という交代寄合になったとする説もある。

出典 http://www49.atwiki.jp

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